+たまたまインタビュー + vol.20「池田朗子さん」

時々寄稿しているメルマガ「ヌートリア通信」の記事をブログにも投稿することにしました

今回は、アーティストの池田朗子さんです。
国内外で視覚と認識の関係をテーマに、インスタレーション、映像、写真などさまざまなスタイルで作品を制作、発表されています。以前は名古屋周辺が拠点で、現在は大阪にいらっしゃいます。


フィリップ(以下P):「こんにちは、朗子さんの簡単な自己紹介をして頂けないでしょうか?」

朗子さん(以下A):「ご紹介いただきましたが、現在は大阪に住み、夫とその家族の経営するネオンサイン製作の工房(oncan)の仕事を手伝いながら、小三の男の子と三人で暮らしています。2011年に出産、育児をスタートし、同じ時期に工房も先代から夫へと代替わりして、ほぼ個人的な表現活動から遠ざかって生活しておりました。」

P:「旦那さんのネオン管のお仕事は世襲だったんですね! 個人的な表現活動時代はどんな活動をしていましたか? 私は朗子さんの著書-their site your sight-に出てくる一連の作品がすごく好きでした。」

A:「ありがとうございます。インスタレーションを中心に個展やグループ展で発表させていただいたり、デンマーク、スウェーデンでのアーティストインレジデンスで制作・発表をしました。その間に、作品集出版するチャンスもいただいたり、広告や雑誌のお仕事もさせていただいてました。」

P:「工房の手伝いや子育てをするようになってから、ネオンの作品などは作りましたか?あと考え方などは変わりましたか?」

A:「ネオンサイン製作は、出産後挑戦してみたのですが、容易ではありませんでした。繊細な素材のガラス管のネオンサインを納期までに作ると言うプレッシャーがキツくて、自分には合わないなぁと早々と退散しちゃって。不得意でしたが簿記の勉強をして経理を担当することにしました。今思えば、経理事務の作業はアートの仕事にとっても重要なのですが、当時は「自分とは無縁だったことをしている」と思っていました。家族の生活がかかっている事、産後直後だったこともあり、結構ストレスを感じてました。今も「綱渡り」なのは変わりませんが、以前の様に、お金を怖いとは思わなくなりつつあります。むしろ、個人事業主としてアートに関わっていく者にも、自分でマネジメントしていくために勉強しておく必要があったなと、自省も含め思うようになっています。

P:「マネジメント、大事ですよね(無知識で何も答えられず 汗)。
最近はどんな活動をしていますか?」

A:「アート関連の活動では、地元の先生が主宰する子どものためのアトリエ(アトリエ・グー)の造形のお手伝いのをさせて頂いたり、大阪の一般社団法人タチョナさん(http://touchonart.net)と市内の小中学校でのアートワークショップの講師をしています。最近になって育児から解放される時間も増え、工房内にある自分のアトリエを清掃しつつ、また絵を描いたり、文章を書いたりをポツポツとはじめました。」

工房きちでの制作風景

P:「アートワークショップって最近よく聞く気がします。10年くらい前と比べて教育の仕方が変わってきたような気がしますが、朗子さんはどう思いますか?」

A:「そうですね。制度や詳しいことは私もちゃんとわかっていませんが、現場の生徒さん達は昔より積極的に意見交換したりする様になっていて、コミュニケーションが上手だなと肌で感じます。学校の先生にそのことを伺うと、指導要項もどんどん変わり授業の中でも一方通行でなく、意見交換の機会を増やしているとの事でした。また、少し話がズレますが、私のワークショップでは撮影も行うのですが、以前より生徒さんたちはデジタル機器に慣れていて。学校のタブレットでもほぼ説明なく操作し、その撮影の方法や構図も大人より柔軟で『デジタルネイティブだ!』と、ワークショップ最後の作品発表の時は私の方が、その発想に刺激を受けています。」

P:「デジタルネイティヴの次の世代?ですもんね!最後に何か一言あればよろしくお願いします。」

A:「今現在、私自身、新型コロナウィルスの影響で、仕事の仕方や家族との距離や関係が変わっていっています。楽観的すぎるかもしれませんが、今までのスタイルや「こうでなければ」と思い込んでいた、自分の役割、生活スタイルや、距離とか場所を理由に出来ないと思い込んでいたことを変える機会になるかもしれない?と思っています。少しでも私自身の思考や行動、コミュニケーションが広がり、深まる様に意識して小さな挑戦をチマチマと続けていきたいと思っています!フィリップさんにも、また相談させてくださーい!(笑)」

P:「こちらこそよろしくお願いします!ありがとうございました!」

oncan(ネオンサイン工房)
http://ne-oncan.com

アトリエ・グー
http://atoriet-goo.blogspot.com

Touch On Art タチョナ
http://touchonart.net

書籍:光景 -their site your sight- 池田朗子
http://www.seigensha.com/books/978-4-86152-163-8

+ たまたまインタビュー + vol.19「原田直樹さん」 

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時々寄稿しているメルマガ「ヌートリア通信」の記事をブログにも投稿することにしました

今回は、名古屋を代表するMakerの原田直樹さんです。ステキなLEDバッジやピタゴラスイッチのような装置を大量に作られていて、テレビ・ラジオ・雑誌などのメディア、工作ワークショップなど各種モノづくり系イベントの出展など多方面で活動されています。

MakerFaireKyoto2020に出す予定だった新作マーブルマシンとバッジ

フィリップ(以下P):「こんにちは、原田さんの自己紹介を簡単にして頂けないでしょうか?」
原田さん(以下H):「学生時代に藤幡正樹さんのLED作品に惚れ込んで現在も続くLEDバッジ作り、1997年からWebサイト『〈カタログで見る〉電子楽器博物館』の運営。2008年からシンセサイザーの自作、マーブルマシンの製作に取り組んでいます。」
P:「藤幡氏のLED作品はどこで知ったのでしょうか?」
H:「マイコン雑誌「RAM」の記事です」
P:「BASICマガジンとかはよく聞くけど、RAMははじめて聞きました。どんな雑誌でしょうか?」
H:「今で言う”パソコン”、昔マイコンって呼んでましたね。その雑誌です。」※1980年前後には『I/O』『月刊マイコン』『月刊アスキー』と並び「4大誌」と称された(wikipediaより)。
P:「マイコン雑誌と聞くとなんか心が震えますね。私は原田さんのLEDバッジが好きで、見ると全種類欲しくなってしまいます(現在5個もっています)、現在何種類あるのでしょうか?」
H:「新作ごとに番号を振っていて、現在53です。」
P:「53種類ですか?ビックリです。」
p:「どの作品もとても細かくきれいでよくこんなものを人の手で作るなあ、、と毎度驚きます。作っている時はどんな気持ちで作られているのでしょうか」
H:「特にハンダ付けのときは無心です。」
p:「すごいですね。最近はどんなものを作られていますか?」
H:「古いLEDが手に入ったので、LEDが使われ出した1970年前後の出来事だった米国アポロ計画に引っ掛けてバッジを作りました。」

2020年新作LEDバッジ


P:「古いLEDはどこで入手されたんですか?」
H:「長野の電子部品店です。」
P:「なんと!見たらまた買ってしまいそうw今回はいきなりインタビューにお答え頂き、ありがとうございました!バッジのことばかり聞いてしまいましたが、実はマーブルマシンも相当すごいので、下記のURLを見て頂けたらと思います。東急ハンズ名古屋店にも設置してあり、いつも子供がかじりついているのを見かけます。マーブルマシンの方は作りだしたきっかけが、NHKのピタゴラスイッチを息子と見たこととのことですが、それだけでここまで作るのかーという。」

denha(原田さんのマーブルマシンの動画チャンネル):https://www.youtube.com/user/denha

+ たまたまインタビュー + vol.18「日栄一雅さん」  

今回は、名古屋を拠点に海外まで幅広く活躍されているメディアアーティストの日栄さんです。私も名古屋に住んでいるので、いつも興味深い作品を鑑賞させてもらっています(IAMAS院卒業生でもあります)。


フィリップ(以下P):「こんにちは、日栄さんの自己紹介を簡単にして頂けないでしょうか?」
日栄さん(以下H):「サウンドアートを中心にいろいろなものを作ってます。」
P:「日栄さんは、元々理系大学出身で、芸術活動をされてます。なぜそうなったんでしょうか?」
H:「いろんなものが数字や記号に置き換わる事にすごく興味があったんですが、20代の頃に「あれ?そうじゃないなぁ~」と思って、その違和感を埋めるために。」
P:「違和感はどんなものですか?」
H:「頭で考えていることと、感覚で感じていることとのズレからくるものだと思います。」
P:「それで芸術活動をしてしまうのがすごいですね。津島でも活動をされていますが、どんなことをされていますか?」
H:「神社で雅楽の奏楽をしています、デジタルとのバランス取る為と、前述の違和感を埋める為かも。」
P:「雅楽すごくお似合いですね、私の日栄さんのイメージは陰陽師です。」
H:「他にも3年ほど前から、定期的にいろんなアーティストを地元に呼んで展示をしてもらっています。」
P:「私も日栄さんのつしまアートスケープに参加させてもらい、2020/1/13からイラスト展示をさせてもらっています。今回、日栄さんて意外と地域愛があるんだなーと驚きました。」
H:「地域愛そんな大層なものではなくて、身近で楽しい事ができてあわよくばそれが地域に還元できればいいなという、それだけです。」
P:「津島はいいとこだと思います。最後に一言お願いします。」
H:「空き家があるので、活用したい方いらしたらご連絡ください。」
P:「どんな空き家でしょうか?」
H:「かなり古い町家ですが、使い方次第ではなにか使えるかも。」
P:「津島の古い町家いいですね。ありがとうございました!」

hiei-music:
http://hiei-music.com

つしまアートスケープ
https://www.facebook.com/tsushimart2016/
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告知:
山中透 x スナッチ (ダムタイプ) x HIEI x 石川智久 x シンヤB
Diamond Jubilee: Feasts
2020.02.2

フィリップ展示「アカダクツワラビ」
展示場所:OVER COFFEE(コーヒーもデザート類もとても美味しいです)
開催期間:1/13-3月頭くらいまで、場所:愛知県津島市
WEB:https://overcoffee-cs.com/

+ たまたまインタビュー + vol.16「河村陽介さん」

今回は、河村陽介さんにインタビューさせてもらいました。
MOBIUMというバスを長年運転されています。今度のゴールデンウィークにMOBIUMバスツアー2019をされるそうなので、インタビューをさせていただきました。


PHIRIP(以下P):こんにちは、LOZI(河村陽介さん)の自己紹介を簡単にして頂けないでしょうか?

LOZI(以下L):現在は名古屋を中心に活動し、メディア系の作品制作を行うNODEや、移動型ラボMOBIUMを運営しています。

P:MOBIUMバスツアー2019の告知をお願いします

L:4/27-5.5の連休に東北を中心にバスでツアーして展示をします。
http://www.mobium.org/new/mobium_tour_2019/

P:そもそもなぜバスを買おうと持ったんでしょうか?

L:もともとイベントを行うための移動型のスペースが欲しかったのですが、2005年にちょうどバスツアーの企画「shoboshobo」と「moblab」のお話があり、ついついバスを買ってしまいました。

P:運転していて一番楽しかった時と、辛かった時について教えてください

L:企画をやっているときは常に楽しいです。初代のバスが廃車になったときは哀しかったです。

P:2016年にFINALツアーをしたけど、なぜそのあとに2号機を買ったんでしょうか?

L:FINALツアーは初代のバスの最後のツアーということだったのですが、もともと次の展示予定も決まっていたのですぐに2号機を買わざるを得なかったのです。
パソコン壊れたらすぐ買い替えますよね。

P:(パソコンとバスを一緒にしてる?!)あの時は”辞める辞める詐欺”って言われてましたよね
バスは陽介さんにとってどんな存在ですか?

L:いろいろな実験がどこでもできるので、実験場でもあって、もはや身体の拡張でもあると思えます。

P:いつかやってみたいことはありますか?

L:先日大阪で船をイベントスペースにしているのに乗ったのですが、船いいな、と以前から思っていたので、そのうち船MOBIUMやりたいですね。

P:時々TVなどで見かけるバスと船兼用みたいな感じですかね??ついでに空も飛んでほしいですね
最後に一言お願いします。

L:今回のツアーを実施するにあたって、資金が足りないためクラウドファンディング中です。みなさまご支援お願いいたします。
https://camp-fire.jp/projects/view/147299?utm_source=cf_widget&utm_medium=widget&utm_campaign=widget
各地でみなさんにお会いできるのを楽しみにしております。

P:ありがとうございました!成功を祈ります。

MOBIUM
http://www.mobium.org/

MOBIUMクラウドファンディング
https://camp-fire.jp/projects/view/147299?utm_source=cf_widget&utm_medium=widget&utm_campaign=widget

+ たまたまインタビュー + vol.15「伊藤アキトさん」


今回は、ストーカーとして名高い、伊藤アキトさんにインタビューさせてもらいました。


フィリップ(以下P): 「伊藤さんの簡単な紹介をお願いします。」
伊藤さん(以下I):「え、、メディアアートおじさん?」
P:「元々服飾ですよね?なぜ服飾に進んだのかきっかけを教えてください。」
I:「高校の頃はコンピュータぽいとこに行こうかと思ったんだけど、塾の先生が、服飾とか芸術系がいいんじゃないといったので、服飾の方が食べられるんじゃない?と思って。」
P:「何故IAMASストーキングをするようになったんですか?」
I:「僕ね、IAMASって学校が出来たことは初期(1995年)から知ってたけど意味が分からなかった。ただ、優秀な人がいるっぽいとは思ってたけど。」
P:「具体的にストーキングするようになったのはいつからですか?」
I:「はじめて行ったのは、2000年くらいに妹島和世の建築を観に行ったりしてたけど、ずっと服飾の方が忙しくて、その後DEEPに来るようになったのは2010年くらい。」
P:「なぜそんなにIAMASの人が好きなんですか?」
I:「色んな人がいるけど、芸術系と技術系の人がすごい別れている気がする、アート畑から来た人と、技術系の人がいて、音楽かアートの人がしゃべりやすいけど、プログラマーの人はちょっと感覚が違ってるね。あとIAMASはアカデミーがあった頃の方が面白かったよね。今はよくわからんない人が減って均一化してるから、わけ分かんない人が意味不明なでたらめなことをやってるのがすごいなと思ってたから。」
I:「あと、IAMASの卒業生同士が仲いいのがむかつくけどね、ああいうの無いよね、異常だと思うよ。」
P:「ああ、確かに仲いいですよね。特に注目している人は誰ですか?」
I:「うーん、星君面白いけど、やっぱ三原さんかな、見た目もヒッピーみたいですごいし、バイオアートとかやり出した時に、アーティストがバイオアートとかと関わる時にどうすべきかとかすごい考えてるよね。普通知らない領域に関われないのに、三原さんはちゃんとアーティスト目線で関わって成果も出してて、ああいう人っていないよね。」
P:「すごいですよね。そういえばIAMASの教員ともよく話されていますよね。」
I:「前林さんはアートって言う領域を拡大してるし、予見的な活動しているし、何がしたいのかよく分かんないけど、性格もいいしね。僕とも仲良くしてくれるし。」
P:「前林先生や平林先生もよく付け回していますよね。そろそろIAMASに入学しないんですか?」
I:「僕が?ないね、僕入ってもやることないし。」
P:「入るといいと思うんですけどね。服飾についてどう思いますか?」
I:「服飾はすごく変わったね。昔よりアートと関わる服飾の人がすごく増えたよ。昔は技術者って感じだったけど、マルジェラとかフセインチャラヤンとか、Yohji以降変わったよね。そういうのは海外から来たんだと思うよ。チャラヤンとか展示会に砂の山を持って来てて最初意味がわからなかったよ。あんなことしたのチャラヤンが始めてだったよ。」
P:「今後どうしていくんですか?」
I:「まあ、定年まで働くんじゃない?年齢も年齢だしね、何でもやろうと思うと時間がかかるし。でももう50代が見えて来たからね、50歳ってどういう気持ちなんだろうね。どうなんだろうな。わからん。ほんとに体が動かんくなって来たし。」
P:「私もどうしよう、、、、まあ今回はこの辺で、ありがとうございました!」

+ たまたまインタビュー + vol.14「澤崎賢一さん」

今回は、たまたま偶然京都でim/pulse:脈動する映像という展示のオープニングパーティ(注1)でお会いした映像作家の澤崎さんにインタビューさせてもらいました。


フィリップ(以下P): 「こんにちは、簡単に自己紹介をお願いします。」

澤崎さん(以下S):「DSPコースを2007年に卒業し、そのあとは職を転々としながら現代美術作品を作って発表したりしてました。ここ数年は、人類学や農学などを専門とする研究者たちのフィールド調査にくっついて行って、アジア・アフリカ各地で映像作品を作っています。いまは、各地で撮りためている映像を活かすためのプロジェクトを立ち上げる準備をしているところです。」

P: 「それでこの展覧会にいらっしゃるんですね。庭師の方の映像を作っているとお聞きしたのですが、それについて紹介して頂けないでしょうか。」
S: 「2016年にフランスの庭師ジル・クレマンさんのドキュメンタリーを作りました。クレマンさんは、パリのアンドレ・シトロエン公園の庭やケ・ブランリー美術館の庭をつくった庭師です。彼の庭では、人間が中心ではなく、昆虫や植物や動物が移ろい作用し合いながら風景が作り上げられていく。だから、彼の庭は常に「動いている」。映画では、クレマンさんが2015年に日本を訪れたときと、僕がフランスの彼の庭を訪れたときの様子が記録されています。」
P:「学生時代(IAMAS出身と聞いてビックリしました!)はどのようなことをされていたのでしょうか?」
S:「IAMAS時代は、小林茂さんにとてもお世話になりました。本を読んだり作品を作ったり卓球をしたりしていたら、2年が過ぎてましたね。実はいまも京都市立芸術大学の博士課程に在籍中で、絶賛学生中です(笑)。」
P: 「へえー!卓球の作品を作っていたんですか? あと、小林茂先生というと電子工学のイメージで、人類学や農学が想像できずびっくりしました。今の作品も博士過程の研究の一環でしょうか?」
S:「卓球は息抜きです。やりすぎて一時期ずいぶん上達してしまいましたが。IAMASのときに、フィジカル・コンピューティングなどにチラリと触れましたが、結果的にほとんど活用できず・・。「動いている庭」を作ってからは、がらりと作風が変わりました。いまはアフリカのブルキナファソとタンザニアをフィールドに研究者と作品を作っていますが、博士過程の研究の一環でもあります。」
P: 「最近気になること、試みられていることはありますか?」
S:「4歳になる娘がいるのですが、昨日できなかったことが今日はできたりする娘の成長が気になります。世の中の変化も激しいので、娘が大人になる数十年後の暮らしがどうなっていくのかも気になります。」
P: 「なんとそれもビックリです!娘さんから何か影響を受けて映像を作られたりもするでしょうか?」
S:「娘から色々刺激を受けることはありますが、直接的な影響はなんとも・・。ただ、アジア・アフリカ各地でいろんな暮らしのあり方に触れると、将来僕らの暮らしも想像していないような変化をするかもしれない。と思うと、将来世代に何を残していくか、と漠然と考えたりもします。」
P: 「色々な暮らし方や将来の世代、、自分も少しは考えたいと思います。最後に一言お願いします。」
S:「映画「動いている庭」(注2)、次は神奈川の予定、ぜひご覧ください!自主上映会も受付中!」
P: 「観てみたいと思っています。ありがとうございました!」

注1:im/pulse: 脈動する映像(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)
http://gallery.kcua.ac.jp/#ja

注2:映画「動いている庭」公式ウェブサイト:
http://garden-in-movement.com/

+ たまたまインタビュー + vol.13「中原淳さん」

今回は、イアマス大学院卒業生の中原淳さんにインタビューさせてもらいました。
現在は岐阜県本巣市根尾に移住して、色々なことを試みられています。
昨年はじめて中原さんと話した時に、経歴の振れ幅が大きいのが面白く感じました。


P:「こんにちは、中原さんの自己紹介を簡単にして頂けないでしょうか?」
N:「大学院2期の中原です。大学は農学部出身で、その後ATR(注1)からIAMASにきて、ICCの研究員やってました。ゴリゴリのメディア系だったはずが、今は限界集落暮らし。」
P:「すごい触れ幅ですねw。」

P:「都市と農村に実際に住んでみてどう感じられていますか?」
N:「ありふれた言葉ですけど、農村は「いい生活」できますね。でも、経済から取り残されてる感覚はあります。最近は、そう感じてしまう考え方に興味あります。」
P:「感じてしまうというのはどういう意味でしょうか?」
N:「衣食住足りているのに不満を錯覚するみたいな?足るを知るのは難しいってことかも。」
P:「なんか哲学を感じますね、中原さんは京大農学部出身で、メディアアートに興味をもち、意図せずして?現在農村に住んでいることについてどう思いますか?」
N:「もともと京大農学部はアナーキーな傾向あるので、それがハッカー文化と一緒になったというか。個人的な自由の基礎となる技術が好きみたいです。」
P:「そうなんですか、京大農学部のことが想像できないのですが、農学部がアナーキーとはどういうことなのでしょうか?」
N:「農村は昔、衣食住を自給できていたので、権力に対して独特の考え方があります。それが京大の農学には基礎としてあるのかも?それはハッカー文化と共通部分もあります。」
P:「へえー、面白いですね。確かに、昔の農村の話とか聞くと山とかだけで生きて行けてたんだなだと驚きます。」

P:「現在の中原さんはメディアアート(芸術全般でも)についてどう思いますか?」
N:「まあ外野から見てます。好きな作品もありますよ。ヨーロッパっぽい市民メディアを作るようなプロジェクトは好きです。逆に、資本にがっつり飲み込まれて、未来を賛美するテクノロジー・プロパガンダみたいな作品が増えるのは怖いなと思ってます。そっちのが金稼ぎやすいし。自分もそうだったし。」
P:「私は何も考えていなかったのでそういう意見を聞くとすごいと思います。多分若い頃はテクノロジーが純粋にかっこ良く見えるんだろうな。今でも思いますが、、そういえば、中原さんはイアマス時代は何を作って(研究して)いたんでしょうか?」
N:「普通に情報デザインしてましたよ。infoscapeとか。すっかり昔になりましたね。」
P:「おお、なつかしい!」

P:「IAMASの時に習った先生についてコメントをください」
N:「シュナイダーさん。今も尊敬してますし、「これやったらシュナイダーさんに怒られるかもな」が、今でも倫理的な基準だったりします。思想通りに生活しようとする姿が好きです。」
P:「シュナイダーさんすごい!」

P:「最近はどんなことをされていますか?」
N:「限界集落でシェアオフィス(注2)つくって、細々と仕事してます。あとは子育て。」
P:「面白い活動ですよね、実はこのインタビューでも以前、GIDSにいらしゃった花火師の方に出てもらいました。」

P:「最後に一言お願いします。」
N:「IAMASにも近い限界集落、本巣市根尾地域にどうぞ遊びに来てください。ある意味、未来です。」

P:「ありがとうございました!」

注1:ATR  http://www.atr.jp/
注2:GIDS  http://gids.jp/

+たまたまインタビュー + vol.12「YukoNexus6さん」

今回は、コンピューターを使った面白い音楽活動を1990年代からされていて、国内外で活躍しているYukoNexus6さんにインタビューさせてもらいました。


YukoNexus6(以下Y):エレクトロニクスぽい音楽やってる人だったら、使ってなくても知ってる環境にMaxっていうのがあるんですが、それをMIDIしか使えなかった93年頃から使っていて。一時期Maxを教える大学の芸術系の教室で助手みたいなことをしていました。2008年頃までの3年間、アルスエレクトロニカ・デジタルミュージック部門の審査員も体験しました。
フィリップ(以下P):音楽活動では具体的にどんなことをされていましたか?
Y:Maxのプログラミングで自分のお気に入りの楽器を作る。電子工作やサーキットベンディングのPC版みたいなことですね。
P:実は私は90年代の終わりに、フロッケ展というのでYukoさんのことを知りました。確かデスクトップ環境の音で何かしていたような。面白いことする人が居るんだなと思っていました。
Y:Macの警告音とかも演奏の素材にしちゃいます。
P:最近はどんなことをされていますか?
Y:一時期活動しなかった時期があるんだけど、一旦ブランクが出来るとDTMの世界は進化が速いので……私はMax4.6で止まっていて、今はMax7だし、だいぶ違っちゃってるから「PC使わず自分の声とか新聞紙とかでアナログなサウンドアートやろうかな、うーんどうしたもんか?」と思ってたら、此花区(大阪市)に来てたレジデンスアーティストと意気投合して……。
P:此花は最近色々な作家が移住しているみたいですね
Y:下町で家賃も物価も安いから色々な芸術家や自分で何かをする人が移住して来てます。地元の不動産屋さんと一緒にやってる大川さんというキーマンがいて、若い人々に門戸を開いているんですね。劇作家の岸井大輔さんも「高校生に芸大に入りたいけどどこがいいですか?ってきかれたら此花に住めばいいよって言う」って(笑)。
P:数年前に梅田哲也君たちのライブを今は無きfloatに見に行って、偶然Yukoさんと此花のシェアハウスportに泊まったけど面白かった。で、どんな人たちと意気投合したんですか?
Y:アーティストのmizutama君が企画・実現した此花とフィリピンの交流プログラム(オオサカ・クリエイティブ・アーキペラゴが助成)。マニラから来たサウンドアーティストたちと交流して、彼らのライブにボイスで飛び入りしたり、ブランクを乗り越えて自然にパフォーマンスできたんです。
そしてMAX7使ってみたら、すごく使いやすくなってて「私って天才?」と思う位いろいろ出来る(笑)。アイディアがどんどん出て、楽しくなってきた!
P:おおー!やっぱYukoさんはMaxが合う
Y:フィリピンは前にも行ったことがあるけど、インフラも整ってなくて貧富の差とか辛いことだらけのはずなのに、みんな笑顔。私はマニラと相性がいいみたい。
P:マニラでのYukoさんたちのセッション聴いてみたい!
  最後に何か一言お願いします
Y:2018/3/24に名古屋パルルでライブ予定です。きてね!

[参考URL]
YukoNexus6 https://www.facebook.com/yuko.nexus
Max7 https://cycling74.com
大阪-マニラ文化交流プログラム https://c-archipelago-osaka.jp/program/54/
Yukonexus6さんとわらび掘りの歌を歌いました(podcast) https://note.mu/yukonexus6/n/n1d37c24b1285

+ たまたまインタビュー + vol.11「Hoonida Kimさん」 

今回は、IAMASの卒業生で、現在韓国や日本でメディアアーティスト、先生として活躍中の
Hoonida Kimさんにインタビューさせてもらいました。

フィリップ(以下P): 「Kimさんこんにちは、Kimさんの簡単な自己紹介をお願いします。」
キムさん(以下K):「こんにちはAir Sculptor hoonidakimです。僕は大きく二つの枠で活動をしてます。
まずはMetaMediaとして電子基盤を自作して見えないものの制御装置(例えば、聴覚、触覚)を作って作品を作ってインスタレーションやパフォーマンスをやっています。
もう一つはPROTOROOMというテクノロジーメディアベースのキット(KIT)を中心にワークショップやインスタレーションをするメタメディアコレクティブの活動です。」
P:「音の作品を中心に作られていますが、基盤づくり>作品制作>発表>workshopや教育、アウトプットまで、ホントに全部されていてすごいですね。
全部の流れを作ることはキムさんにとってどんな意味がありますか?
PROTPROOMの方の、メタメディアコレクティブという言葉は初めて聞いたのですが、どういう意味でしょうか?」
K:「Metamediaというのはアランケイが(Alan
kay)が話したことで簡単に説明すると、computerは音楽、写真、絵、映像、などのメディア発達の一周だど思いかちですがつば抜けでその特徴が違うものです。そのすべでのmediaを作ることができるmedia、そしてそれらを再構成、再構築できるものをMetamediaだと言えます。
 私にとっては環境自体を作り、提案して行きたいと思うので何かにとっての原子的な要素やMetamediaとしての試みは大事であります(短い文章では説明しきれない)。」
P:「面白い考え方ですね。そういえば、なぜ、日本で勉強しようと思ったのでしょうか?」
K:「最初、日本の複雑で細かい世界観で何かになり立ってないがその面白さに価値を感じで日本に行きました。学校ではなかった。」
P:「日本の複雑で細かい世界観>韓国から見ると日本はそう見えるんですね(どの辺が細かいんだろうか?)あと、キムさんはなぜ、彫刻が好きなんでしょうか?」
K:「厳密に言えば塑造(学部の時は物理的な塑造)が好きでした。その理由は最初は精密に計画を立てずに全体的な塊を作るうちに、最初の考えにとらわれずフレキシブル(flexible)にその方向を変えることができるからです。それは、今の”その場にある空気を塑造する”という考えにつながります。」
P:「なるほど、もしかすると今の活動も塑造に近いのかもしれませんね。最近はどんな展示をされていますか?」
K:「韓国でNam June Paik Art Center の ”Our Bright Future-Cybernetic
Fantasy”企画展にPROTOROOM としてFeedback of MetaPixels-Language for Digital
Atomsという新作品で参加してます。(11月5日まで)
Cheongju Craft Biennale2017 の ”RE: craft”企画展にHoonidaLabsとしてOrchestra
Jewerlyという新作品で参加してます(10月22日まで)。」
P:「色々されてますね!Nam June Paik Art Centerとはすごいですね。
(誰かこの記事を読んでいて韓国に行かれる方はぜひ!)。
最近気になっていることはありますか?」
K:「計算的思考をより、直感的な思考に変換できるのか(PROTOROOMの活動でいつも研究してます)。」
P:「なるほど、、それも聞き出すと興味深い話になりそうですね(でも文字数が、、)。最後に何か一言お願いします。」
K:「メディアに食われないようにメディアを接したい。」
P:「ありがとうございました!」

[参考URL]
ナムジュンパイクセンターの企画展「Our Bright Future-Cybernetic Fantasy」
に(チームPROTOROOM)で参加
https://njpac-en.ggcf.kr/archives/exhibit/cybernetic-fantasy?term=11

craftbiennaleにhoonidaLabs(hoonidalabs.com)で参加
http://www.okcj.org/bbs/content.php?co_id=menu01010201

+ たまたまインタビュー + vol.10「花火師ナオトさん」

今回は、岐阜県本巣郡根尾村の夏祭りに行った時に、たまたま
2017年現在根尾のGIDS(ギッズ Gifu Indie Design Sessions)でレジデンスをしている”花火師ナオトさん”29歳のお話を伺いました。


フィリップ(以下P): 「こんにちは、ナオトさんの略歴を伺えますか」

ナオトさん(以下N):「ナオトといいます。僕は小学生のときから花火師になりたくて、18歳から花火会社で働き、花火の打ち上げから企画まで色々な業務をさせて頂きました。その後独立をして今は花火のデザインや、デザイン、ブランディングの仕事もしています。伝統文化を伝えるだけではなく、ちゃんとデザインしてどう伝えて行くか、ブランディングがとても重要だと思うようになり、オーストラリアにいって勉強して起業したいと思いました。」

P:「なぜオーストラリアに行かれたんですか?花火は日本の伝統だと思っていましたが、オーストラリアでも独自に進化しているということでしょうか?」

N:「オーストラリアと日本では、法律が違い、やれる範囲がちがうので、考えるスペックが違うんです。元々の固定観念が全然違うと、考え方が元から違っていて、その発想に素直に尊敬しました。」

P:「デザインはどこで学ばれたのでしょうか?」

N:「独学です。」

P:「独学とは例えばどんなことでしょうか?」

N:「本を読むのはもちろん、僕は人間が持つ「間」だったり、立体に興味がありました。そう言ったものは教科書よりも五感で体験するということが一番だと考えて勉強しています。僕はデザインの中でも、実際にAIを使ってゴリゴリやる感じではなくて、全体デザインをしてディレクションをしていくのが本業です。例えば、イラストは北海道に住んでる〇〇さんに依頼しようとか… 実力はみんなありますし、独自のカラーもあります。僕は先輩方に比べて実力はありません。ただ、人間としての魅力という感性は磨き続けて行きたいと思っています。生涯日々勉強です。」

P:「何歳くらいからされているんでしょうか?」

N:「小学校6年生くらいですかね、花火師になりたいと思ったのは小学校3年生の時です。本を読んだり、ネットで調べたりして無意識のうちにそういうことを学んでいました。後は、ひとの振り見て我が振り直せですかね。笑」

P:「花火や立体のデザインを独学してる人は初めて会いました!なぜ今は根尾でレジデンスをされているんでしょうか?また、どんなことをされているのでしょうか?」

N:「それは偶然母親が新聞で見つけて、僕に合うんじゃないかと進めてくれて、普段は親の言う事を聞いたりしないんですけど、
今回は何か直感があって問い合せたのが最初のきっかけでした。根尾では観光デザインをテーマに、町内を散策したり観光協会の方へ意見交換をしたりしました。レジデンスは今月で丁度6ヶ月目で終了です。とってもいい感じでした。やるべきことの本番、つまり実働はこれからが勝負だと思います。」

P:「お母さんもただ者じゃ無さそうですねw 予想外のお話を聞けて楽しかったです。ありがとうございました!」

Pyro Direction Team Live-ZERO.(ナオトさんのページ)
www.live-zero-jp.com

根尾のGIDS(Facebookページ)
https://www.facebook.com/GIDS.GIDS.GIDS/

今回のインタビュー Youtube版
https://www.youtube.com/watch?v=j6FsXT-YDNM