+たまたまインタビュー+ vol.27「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷卓司さんのお話 その3」

インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)
———————————————————————————–
今回は、愛知県美術館の越後谷卓司さんです。2021年のはじめ頃にたまたまアートラボあいちに展示を観に行った時にお会いしたので、インタビューをお願いしました(インタビューは3/14に芸文センターにて)。
フィリップ(以下P):「学芸員の仕事を長年されて来られていらっしゃいますが、これまでやって来られてどんな感じでしょうか。」越後谷さん(以下E):「まあ、学芸員と言っても色々なスタンスの人がいて、扱う作品とか時代とかによるので、僕の場合対象が現役の作家とか、古くても100年前なので、そういう前提で言うと、作家がやりやすいように、やりたいことが実現できるようにしてきたのかな、と思うし、まず作家ありきで「オリジナル映像作品」の制作を担当しているんですけど、作家が企画を出してきて、そこをいかにして形にするかのお手伝いをしている感じです。」P:「へえー」E:「一方でもう完成してしまっている作品に関しては、自分なりの視点やテーマで上映会をやったりしているので、そこには作家の作品とは別の切り口があって、それには自分の持ち味は出ていると思います。」P:「今までの上映会で一番気に入っているものは何でしょうか?」E:「気に入っていると言うか、やって良かったなと思うのは、ジョナス・メカスの特集で1995年ですけど、ビデオ作品の上映をやったんです。メカスはフィルムの人で日記映画の創始者と言われているんですけど、そう言うのはもう見てたんですね。でもビデオも撮っていて、それはまだ見ていなくて、見てみるとフィルムだとコマ撮りですが、ビデオだと長回しなんですね。ひたすら人物とか風景を延々と撮っているんですけど、それが僕には面白かったんですね。なにぶん6時間くらいのすごい長いのを上映したりしていたんで、一般の人の反応はあまり良くなかったかもしれないんですけど、あの時点で紹介できたのは良かったですね。」P:「見る人は見るけど、普通の人は見きれないような感じだったでしょうか。」E:「長い作品に関してはそうですね、6時間だと1日潰すことになるし、見る側もよっぽど肝が座っていると言うか。」P:「ここ(芸文センター)に来られたばかりの頃ですよね。」E:「そうですね、ここには1992年に来たので、ただ、若いうちに勢いでやっちゃうのが良かったんじゃないかな。もっと年齢重ねるとなかなか手がつけられないと言うか、物事をわかってなかったので、やってしまったと言うところがあるので。」P:「勢いは大切ですね。あと、愛知芸術文化センターの方針みたいなことも教えていただけないでしょうか?」E:「出来た頃は劇場と美術館が一緒になった複合施設という意識がすごくあったんですね。フォーラムという吹き抜けを使ったりもしていましたが、段々やりにくくなって、今は組織もはっきり別れたので、複合性や連携が薄れたのはちょっと残念です。」P:「そういう流れはここだけじゃなく、もっと全体的な流れなんでしょうか?」E:「水戸芸術館とか、川崎市市民ミュージアムとか、愛知よりもっと前に出来たところも統合です。愛知より後の東京都現代美術館とか徐々に大型の施設でジャンルを特定するものが出来始めて、そちらの方が今は主流でジャンルを深められるみたいな感じになっている気がします。」P:「なるほど。」E:「そうは言っても、YCAM(山口情報芸術センター)みたいな施設もあるし、完全に流れが変わった訳ではないですけど、中で働いている人たちの意識と関係しています。」P:「ジャンルによって思想が違うということでしょうか。」E:「美術館は作品ありきで作品を守り伝える、公演は現場で新しいものを作っていくという意識があるので、もちろん現代美術みたいにその場で立ち上がっていくものもあるんですけど、常に作品の収集活動したり、それをどう見せるかみたいなことがある。お客さんの意識も、劇場で同じ演目が何年かごとに再演されて、作品が育っていったりするのを観て楽しむようになるとちょっと変わるのかな。そういう土壌が出来た時に初めて本当の意味での複合性のとっかかりになるかもしれないけど。」P:「思想が違う人が集まると難しいことも起こりますが、面白いと思います。ここ10年くらいアーカイブとか再演とかよく聞きますが、愛知県美術館でもアーカイブ活動が行われているでしょうか?」E:「作品だけでなく、資料ですね。作品が完成するのに至るスケッチとかメモとか記録とかそういったものも含めて、残していかないと、本当の意味で何が言いたかったのか伝えられないということで、それは世界的な課題になっています。過去の掘り起こしとかとても労力がかかるし、どう展示するのかなど…。」P:「時間と人手と大変ですね…。話が実験映像に戻るんですけど、その当時は新しいメディアが出てくると別のジャンルの作家が入ってきたということなんですよね。」E:「例えば画家だったら、キャンバスに描いた絵が動かせるから、動くことで違うものに変えられるとか、マン・レイも写真は動かないけど、動画にしたら写真では出来ないことが出来るとか、新しいメディアが出てきて浸透する時には皆飛び付くんだけど、本来は更にそのメディアを深く追求することが僕は重要だと思うんですけど、個々の作家は続けていても、一般的な認識はそうはならないですね。それは残念ですね。」P:「後、これが最後の質問なのですが、これからの実験映像に期待することは何でしょうか?」E:「今は大学で正規のカリキュラムで映像教育が行われるようになり、「ぴあフィルムフェスティバル」なんかでも大学対抗みたいになっていて、技術や俳優の演技レベルの水準が上がってきているのですが、正規の教育がなかった頃の、例えば園子温とか黒沢清とかも、やりたいという衝動だけで、誰からも頼まれなくても撮るみたいな…。学校教育の重要性は否定しないのですが、何かやむにやまぬ衝動にかられて撮ってしまうような冒険心というか、チャレンジ精神がどこかに残っていて欲しいなあと。技術的は低いけど思いが伝わってくるような作品は、かつては「イメージフォーラム・フェスティバル」に、何本かそういう作品はあったんですけど、今は技術水準が上がっているので…。」P:「なるほど、衝動的なものも残って欲しいですね。」E:「そうですね。」P:「長いインタビューにお答えいただき大変ありがとうございました!とても勉強になりました。」
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 後半https://youtu.be/5wTFNnAYxLU
ジョナス・メカスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%82%B9
マン・レイhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4
園子温https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E5%AD%90%E6%B8%A9
黒沢清https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B2%A2%E6%B8%85

+たまたまインタビュー + vol.26「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷卓司さんのお話 その2」

インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)
———————————————————————————–
今回は、愛知県美術館の越後谷卓司さんです。2021年のはじめ頃にたまたまアートラボあいちに展示を観に行った時にお会いしたので、インタビューをお願いしました(インタビューは3/14に芸文センターにて)。
フィリップ(以下P):「なるほど。80年代は新しいものが一杯あったいい時代というイメージがあります」E:「僕は中学から大学にかけてが80年代だったんですけど、実体験からいうと、80年代は前半と後半で全然違うんです。前半は下積みで長くやってた相米慎二とか、漫画でも大友克洋とかが出てきて新しいことが始まるんじゃないかという雰囲気があったんです。後半になってみるとバブル景気の影響で、映画だと異業種の監督が登場する。例えば高田賢三が映画撮ったりとか。」P:「あー確かにそっちの方がイメージ強いですね。異業種の人が音楽やるとか。」E:「その中で一番成功したのは北野武。」P:「へえー」E:「だから、80年代で何か新しいことが起こりそうな感じがあったのは特に前半の方で、ただそれが花開いたのかとか、どう定着したのかとかいうとちょっと心もとないですけどね。」P:「あまりそういう視点で見たことがないので面白いです。」
P:「実験映像について少し勉強しようと思ったのですが、幅が広すぎてどう説明していいのか…。」E:「テレビでなかなか取り上げられないということもあるけれど、歴史的な後付けがまだなされていないのが、実験映画ってよくわからないと言われてしまう一つの理由なんですけど、はっきりしているのは1920年代のアバンギャルド芸術の中の新しいメディアとしてのフィルムにアーティストとか映画監督が飛びついて、マルセル・デュシャンなんかもそうです。そういう時代があってもう一つが戦後のアメリカでブラッケージとかメカスとかが出てきて彼らは新しい映画の運動をしようとしたんですよ。それはゴダールとかトリュフォーなんかのヌーヴェルバーグにどっちかっていうと近い動きで映画の変革みたいなことをやろうとしたんですね。それがあとでうまく引き継がれていないというか、完全に繋がっているわけじゃなくて、それぞれがアートの領域の新しい動きだったり、ビデオという新しいメディアをどう扱うかみたいな、それぞれが別の性格づけがあるんで、それを全体としてどう捉えるかというと、非常に難しいというか、実験映画というジャンルが確立したかというとそうではないと思うんですよ。むしろ映画でも美術でもいいんですけど、新しいものを生み出す・革新してゆく精神みたいなものなんじゃないかと。」P:「なるほど」E:「そういう意味でいうと小田香さんの『セノーテ』はかなり実験映画のニュアンスを汲んでいる作品だと思うけど、彼女自身がどこまでそれを意識しているかはわからないですけどね。」P:「聞いてて思い出したのが、IAMAS行ってたと言ったらメディアアートって何と聞かれて答えに困ったことが…。あと実験映像の知識がないと、実験って聞くと、普通とは違うことをしているのかな?とざっくりしたイメージしか持っていなくて、色々聞いていくと色々流れがあるんだなーという、そんな知識しかないのですが…。」E:「実験音楽もジョン・ケージとかフィリップ・グラスまでははっきりしていて、大友良英さんはかなりその流れも引いていますが、ポピュラーな方面の仕事もされていますし、音楽でもそうだから、時代の変遷に左右されちゃうんで、あと時間が経つとそのメディア自体が古くなっちゃうんで。」P:「そうなんですよね。」E:「ビデオももうアナログビデオと見られて、それだけで古臭いとか見られてしまうのが残念。メディアは古いかもしれないけど、そこでやられていることは今でも通じるし、面白いものはたくさんあると思うんですけど。そこまで見ようと到達してくれる人が少ない。」P:「ジョン・ケージの作品とか見ると、今思いつくようなことはすでにこの人がやってたんだなと思ったりします。実験映像でもそういう人はいるんでしょうか?」E:「ブラッケージとかメカスかな。メカスは特にプライベートな感じで対象にアプローチするのが、今ではドキュメンタリーもそっちの方が主流になっちゃったけど、昔はもっとNHKが歴史を語るとか、大きなところから俯瞰して構えていた映像が多い中で、メカスは最初からコミュニケーションのツールとして用いていた、プライベートな視点で撮っていて、でもそこから歴史がすけて見えるのが、今見ても先駆的で学べることは多いんじゃないかと思います。」
– 次回へ続く –
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 前半https://youtu.be/2swRKXfkbtw
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 後半https://youtu.be/5wTFNnAYxLU
相米慎二https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E7%B1%B3%E6%85%8E%E4%BA%8C
大友克洋https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E5%85%8B%E6%B4%8B
高田賢三https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E8%B3%A2%E4%B8%89
小田香「セノーテ」http://aragane-film.info/cenote/#unit_top
ジョン・ケージhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8
大友良英https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E8%89%AF%E8%8B%B1

+たまたまインタビュー+ vol.25「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷卓司さんのお話 その1

インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)

————————————————————————————–今回は、愛知県美術館の越後谷卓司さんです。2021年のはじめ頃にたまたまアートラボあいちに展示を観に行った時にお会いしたので、インタビューをお願いしました(インタビューは3/14に芸文センターにて)。
フィリップ(以下P):「こんにちは、越後谷さんの簡単な自己紹介をお願いします。」越後谷さん(以下E):「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷です。元々は愛知県文化情報センターの学芸員だったんですけど、今は美術館の学芸員です。」P:「そうか、愛知芸術文化センターが変わったんですね。」E:「2014年に文化情報センターの組織が解体されたので、事業部門にいた人は劇場と美術館に移動したんですよ。」P:「あまりわかってなかったのですが、名刺が変わったのはそういう訳だったんですね」E:「文化情報センターは劇場でも美術館でもなく、まあその両方をまたがるような仕事をしていたという…。」P:「なるほどだから、実験映画とか、現代音楽とか、コンテンポラリーダンスとかマニアックなものを名古屋で観ることができていたんですね。越後谷さんはなぜ実験映画に興味を持つようになられたんでしょうか?」E:「最初にその手の作品に触れたのは中学生くらい。80年代のはじめぐらいですけど、丁度その頃にアニメーションブームがあって、『宇宙戦艦ヤマト』とか、『銀河鉄道999』とかがあったんですけど、まあそういうメジャーな劇場用アニメーションではなくて、1日くらいの小規模なサークルの集まりで、ちょっと変わったアニメーション上映しているとニュース等で聞くんです。例えばノーマン・マクラレンとかそこら辺の名前とか知るようになって、当時はなかなか実験映画を観る機会がなかったんですけど、多摩美術大学に入ったら、アニメーション研究会が新入生の歓迎で色々イベントやるんですよ。そこでマクラレンも観れて、ああこういうやつだったんだ、みたいな。」P:「へえー!中学生から興味持たれていたんですね。」E:「アニドウ、つまり、アニメーション同好会っていう、プロのアニメーターとかアニメーション研究者とか、こっちの方だと森卓也さんのような評論家だったりとか、杉本五郎さんという漫画家でフィルムコレクターの方とかが協力して、プロというか研究者とかに近い人たちが集まったグループがあって、杉本さんが若い人たちのために、と見せてくれる機会があったり、大使館からフィルム借りて上映会したりしてたんです。」P:「越後谷さんは師匠がいらっしゃいますか?」E:「何人かいるんですけど、一番最初は大学の時の先生だった萩原朔美さんという方で、萩原さんを知ったのは確かNHKの教育(現在はEテレ)で萩原さんの作品を紹介する番組があったんですよ。リンゴを1年間撮って腐っていくのを映画にするとかを紹介していて、こんなことやってて仕事になるんだと名前を覚えていて、大学受験するときに、多摩美で教えていることを知って、3,4年で指導を受けたんだけど、放任主義で学生が何かやれば反応するという感じで。」P:「その頃はご自分でも映像を作られていたんですか?」E:「そうですね、当時は作家志向だったので、先生にも叩かれていました。」P:「その頃好きだった作家さんはいらっしゃいますか?」E:「入った頃がビデオアートブームみたいな時期で。丁度大学入った年にナム・ジュン・パイクの個展があったり、ビル・ヴィオラのことも話題になっていたんだけど、1,2年の時の指導教官の海老塚耕一さんはビル・ヴィオラがあまり好きでなくてなかなか見せてくれなかったですけど1回だけ見せてくれたんです。ビル・ヴィオラが砂漠で撮った『チョットエル-ジェリド』というもので、やっぱり当時はみんなナム・ジュン・パイクよりもまず第一にビル・ヴィオラっていう。」P:「あーでも、ちょっと違いますよね、ナム・ジュン・パイクは映像よりモノが目に入ってくる感じです。」E:「その当時フィルム主流でそうではないビデオの特性を追求しなきゃダメなんじゃないか。もちろんパイクもヴィオラもビデオでしかできないことをやってるんだけども、ビル・ヴィオラの方がビデオの本質に近いというか。あとナム・ジュン・パイクだとビデオシンセサイザー使ってて、そんなの学生には触れることすらできない。だったらビル・ヴィオラみたいに撮影にこだわって作品を作るしかやりようがないのかなっていうのが現実だったんですね。」
– 次回へ続く –
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 前半https://youtu.be/2swRKXfkbtw
愛知県美術館https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
森卓也https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%8D%93%E4%B9%9F
杉本五郎 (漫画家) Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E4%BA%94%E9%83%8E_(%E6%BC%AB%E7%94%BB%E5%AE%B6)
萩原朔美https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E7%BE%8E
海老塚耕一https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%A1%9A%E8%80%95%E4%B8%80
スタン・ブラッケージhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8
ジョナス・メカスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%82%B9

如是我聞vol.8ー1994年を振り返る。コモンズデザインのはじまりとしてー という24時間オンラインイベントに参加します

12月25日 0:00 UTC+09~12月26日 0:00 UTC+09 24時間トークイベント如是我聞vol.8ー1994年を振り返る。コモンズデザインのはじまりとしてー

という24時間オンラインイベントの最後の方で、ワラビモチ作りの実演で参加させて頂くことになりました。このイベントは陸奥さんと岸井さんが毎年クリスマスにお寺でやってきた24時間トークイベント「如是我聞」で8年目になる今年はコロナのためオンラインになったそうです。まだ趣旨がよくわかっていないのですが、とても面白そうです。ぜひご視聴ください!

詳細情報:

https://www.facebook.com/events/194485695705572/

「yanagase PARK LINE」に参加しました

岐阜・柳ヶ瀬のPARK LINEにMOBIUMが出展していて、餅まきで参加。土日とも晴天で、イベント全体が賑わっていて楽しそうだった。MOBIUMではバスの展示と、バッジづくり、餅まきなどをした。お絵かきバスの壁面は消しても消してもすぐ真っ白になるくらい子供達が絵を描き、バッヂワークショップも盛況だった模様。餅まきは1日3回ずつ計6回開催。小さい紙に、何時ころやりますと書いただけなのに、意外と人が集まってきた。アマワラビエ装束(吉田さん布ありがとうございます)は怪しい占い師みたいになったが、疫病退散の意味を込めて、桃、塩、小豆わらびを投げた。だいぶ疲れたけど楽しかった(丸デブも行けたしw)。運営の人にもお世話になり感謝。

「yanagase PARK LINE」にて餅投げ(ワラビモチ投げ)をします

2020年11月14,15日に行われる、岐阜のイベント「yanagase PARK LINE」にMOBIUMというバスが出展される予定で、そこで1日2回ずつアマワラビエが餅(ワラビモチ)投げをします。時刻ははっきりとは決まっていないので、もしこのイベントに来られて、偶然出会うことができたら、ぜひ餅をもらっていってください。 場所は岐阜県岐阜市日ノ出町3丁目付近です。

https://www.facebook.com/pages/category/Event/yanagase-PARK-LINE-111231916979309/

焼芋と明眼院の会

「明眼院~西条ウォーキングツアー」を開催します。

タイトル:「明眼院~西条ウォーキングツアー」

[タイトル]「明眼院~西条ウォーキングツアー」

[講師] 山田さん(中日新聞大治東部販売店 新聞工房)
[スペシャルゲスト] 愛西市教育委員会 学芸員 石田泰弘さん
[企画] 善ちゃん会、ワラビモチ愛好会
[日時] 2020/11/29(日)
[集合・解散場所] 焼き芋庄ちゃん 
〒490-1132 愛知県海部郡大治町北間島大道68 中日新聞大治東部販売店 新聞工房(株
[ツアー] 13:20~17:00頃まで、詳しいスケジュールは下記にあります。
[夕食会] コロナ第三波のため中止
[費用] 1000円(資料、ガイド、などなど)
※焼き芋は各自支払いになります

[スケジュール]
13:20 焼き芋庄ちゃん(中日新聞大治東部販売店 新聞工房)に集合
13:30~ 焼き芋などを食べながら、今日のアウトライン解説を聞く(お茶付!)
13:50~17:00 明眼院~西条ウォーキングツアー(途中色々な見どころあり)
17:00頃 焼き芋庄ちゃんに戻り軽くお茶・解散

[その他]
・欠席される場合はメッセージをください。
・コロナ第三波が到来しているため、マスクの着用をお願いします。また、体調が悪い方は無理をせず休んでください。

参加方法:申し込みは〆切ました。

——————

「明眼院~西条ウォーキングツアー」の感想など
今日ご参加頂いた皆様ありがとうございました!13:30-17:00くらいまでのツアーでしたが、天気も晴れ、みなさんで色々な話をして歩き、とても楽しかったです。

山田さんの解説が素晴らしく、大治に初めて来たのに、大治の人でも知らないような、色々な歴史を知ったのではないかと思いました。石田先生の話は、ふと聞くとやはりとても詳しく面白い話ばかりで感嘆するばかりでした。


13:30~ 焼き芋などを食べながら、今日のアウトライン解説を聞く(お茶付!)大治、今日のウォーキングについての前置き(山田さん、石田先生)、サツマイモの話(ワラビモチ愛好会)焼きいも数種、お茶さつまいもの菓子:サツマイモ大福、サツマイモ寒天(芋羊羹)※焼きいも庄ちゃんの焼き芋はやはり美味しかった!サツマイモの菓子を作り、芋餡や大福を作るのは結構手間だったが、焼きいものうまさには全くかなわないと実感した。

13:50~17:00 明眼院~西条ウォーキングツアー(途中色々な見どころあり)長い道のりでしたが、途中で出会う人が皆んな山田さんが仕組んだのか?色々な話をしてくださり面白かったです。

・明眼院の前にあった、和泉屋と伊勢谷という旅籠の家が立派で、和泉屋のご子孫のおじさんがパネルや古書なども持ってきて見せてくれた。明眼院の保存状態>特に仁王像については学芸員の先生方は特に残念がっていた。
・いくつかの寺に寄り、住職さんも色々お話してくれて面白かった。

建宗寺(曹洞宗のお寺):安井将監秀の墓があると書かれていたが、墓はわからず、位牌を見せて頂いた。奥の部屋には真中にお寺を建立したお坊さん、右に道元、左になんでしたっけ、、の三尊が祀ってあるようす)や本堂の役職の紙の説明が印象に残った。あと本堂にお寺の胡蝶の紋があり、胡蝶といえば鬼滅の刃ですよね!と、ちょっと失礼なことをいったかと思ったら、住職さんがそうなんですよ!それで人が来ないかと、と言われて、現代的というか、面白い住職さんだと思いました。

・松葉庄の寺:石田先生が言われた、一旦新栄の高山寺にならい西になったがまた東に戻った珍しい寺であるという説明、そのすぐ横の立派な家(加藤家)は元本陣だったとか

・石田先生と古橋さんがしていた柳街道の話・「鹿荘」というアパートに反応している人たち
・昔は新婚さんが服を作ってあげないといけなかったお地蔵さんがあった。
・タイル屋さん、たくさん人がきたのでおばあちゃんがビックリ!可愛いおくどさんがあった。
・割と沢山歩いた。
17:00頃 焼き芋庄ちゃんに戻る。焼き芋庄ちゃんに戻ってきてからもしばし談笑。夕方のおやつに「安納芋ぜんざい」を作り、少し焦がしたが美味しかったとのことで安心する。解散。


オンライン茶会のために準備したお菓子

今日はオンライン茶会(紅茶がメインの会)に参加しました。企画者から送っていただいた対馬の大石農園さんのお茶がとても美味しく、参加された皆さんのお話も楽しかったです。

対馬にちなんでせんだんごを作ろうと思っていましたが、会までに準備できず終了後に作りました。ワラビモチと同じ作り方をしたのですが美味しかったです!

あと会中に食べていたワラビモチ(オレンジの器)、粉は奈良の井上天極堂のものを使いましたがやはり美味しかったです!。天極堂は吉野葛の粉を作っている会社ですが、わらび粉も美味しくておすすめです。

もう一つ対馬にちなんで、私は名古屋に住んでいるため近所の津島(つしま)の「くつわ」を用意しました。とても味わい深いお菓子ですが、今歯の治療中で食べることができませんでした(日本三大硬いお菓子)。食べ物の話ばかりになってしまった^^;;。ワラビモチは作りたてが美味しいのでもしオンラインでワラビモチイベントをするとしたら、参加者に作ってもらうのがいいけど、そんな人はいるだろうか?

ワラビモチ 粉は奈良の井上天極堂
くつわ
せんだんご!美味しかった

[食品実験講座] どんぐり会が終了しました

どんぐり会が無事終了しました。
最初にどんぐりデンプン作り(2〜3人分くらいしかないかなと思っていたらかなりの作業量がありましたw)。ミキサーは強いのを購入したかいあり、ちゃんと攪拌できました。
どんぐりデンプンは最初、美味しそうなコーヒー牛乳みたいな色で、時間が経つと、黒ずんできました。各自持ってきたペットボトルで持ち帰り、最終工程までやることに。後半は、3月ころから兵庫県などでちょこちょこ集めていた、野草茶や、ちょっと珍しいお茶などを11種類?ほど飲みました。
最後に少し市政資料館を見学しました。
参加者のみなさま、ありがとうございました。お疲れ様でした!