+たまたまインタビュー + vol.27「Yasuskiさん」

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5. +たまたまインタビュー + vol.27「Yasuskiさん」
 インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)
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2019年にMaker Fair
Tokyoで、なんかすごい楽器を作っている人がいると思ったら、私が在学していた頃(2000年)にIAMASにいらっしゃった先輩のYasuskiさん(ミュージシャン)でした。2年ぶりに連絡が取れたので、インタビューをさせて頂きました(ぜひYoutubeも観てください。すごい楽器でした)。

フィリップ(以下P):こんにちは、Yasuskiさんの自己紹介をして頂けないでしょうか。

Yasuskiさん(以下Y):主に楽器を作ったり演奏をしたりしています。演奏はマルチ・チャンネルの音響システムを駆使する形態で、リアルタイム性を重視したものです。このシステムはIAMASの卒業制作を発展させたものです。
自分が本格的に音楽に接するようになったのは14歳の秋頃からでしたが、その翌年にはギターに繋ぐエフェクターを作ってました。20代に放送関係の仕事に寄り道した後、IAMASを経て音楽に帰ってきました。
数年前から現物の楽器造りに活動の軸足を移しつつありますが、何れにしても音楽活動が制限されてしまう今の御時世は厳しいです。

P:14歳頃に何故エフェクターを作ろうと思ったのでしょうか?

Y:当時は、電子工作関連の月刊誌が数冊出版されていて、偶にエフェクターの製作記事が載ることがありました。僕たちの生活していた空間では所謂ポピュラー音楽で使われる音響機材に触れる機会が全く無いために、エフェクターの効能については想像するしかありませんでしたが、流石に現物は子供が手を出せる価格ではなく、「だったら自分で造ってみよう」と思った人たち自分以外にもそこそこ居たようです。

P:電子工作関連の月刊誌を見て作っていた人たちが、今どうされているか興味あります(何人か心当たりが、、)。楽器製作や演奏活動で生きて行くってすごいことですが、このご時世は大変ですよね、、早くいい時世になって欲しいです。

Y:音楽系は「廻してナンボ」な生活をしている人たちが多く、かなり厳しいことになっているようです。幸い自分は「出る方」も「入る方」も少ないトホホ環境が幸いしてダメージはそれほどではありませんが、計画していたこと(ダメ元で海外への進出など)がほぼ全ておじゃんになってしまったのは痛いです。

P:それは辛いですね、、そのうち計画していたことがまた出来ることを願います。
Maker Fair Tokyo2019で展示されていた和音のでるデジタル・テルミンと、アフリカの楽器のデジタル版(エレキコラ
eKora)が素晴らしかったです。なぜ作ろうと思われたんでしょうか?

Y:世の中に存在しないものは「自分で作るしかない」のですが、製作に至る動機の半分は「これは使い難いな」的な既製品に対する不満を自らの手で解消することでした。特に、民族楽器はステージで扱うことが難しく、他の楽器の音圧に負けずに表現できる仕掛けを考え始めたことがオリジナル楽器を製作する切っ掛けとなりました。
資金の乏しい表現者が突っ込めるのは手間しか無いというのが現実なのですが、実はマインドに負荷を掛けずに手間をかけるコツは、「飽きたら放置する」という姿勢で、今も放置された複数のプロジェクトが並列に待機している状態です。
モチベーションが回復する「お告げ」が来たら、停止していたプロジェクトを再開する、といった感じでしょうか。

P:普通自分で作れないし、音もきれいで見た目もかっこよかったです。お告げはどんな時に来るんでしょうか?

Y:予兆は全くありません。が、生活の中のどこかにヒントは隠れているもので、そういったものを無意識にピックアップした結果なのかもしれません。基本的には、暇を持て余すことが大事ですが、不思議なことに忙しい時に何かを思いつくこともあります。これは個人的な体験というか感覚に過ぎませんが、アイデアを温められる場所というのがあり、そういった場所を見つけることが重要だと思っています。

P:演奏することと、楽器を作ることの両方がYasuskiさんにとっての音楽活動なんでしょうか?

Y:同義です。表現に対するアプローチはいろいろとあるので、自分が得意な分野を見つけてそれを伸ばせば良いと思います。

P:IAMAS時代はどんな活動をされていたのでしょうか?

Y:カリキュラムをこなすだけで精一杯だったと記憶しておりますが、苦手分野に対する知識の獲得とアプローチの方法、機械的な演奏を表現に昇華するための仕組みを考える過程だったと思います。
実は、仕事にかまけて暫くの間停止していた物理的なもの作りを入学後半年以上も経ってから再開したのですが、その切っ掛けは担当教官からの「アンプを作れないか?」というリクエストでした。
今思えば、これが本格的に楽器や音響機器を製作する活動に復帰した第一歩となりました。

P:アンプ作りも音響機器製作の節目になったんですね、担当教官は何先生だったんでしょうか?

Y:三輪眞弘先生です。いろいろとお世話になりました。そういえば、卒業後の一時期に真空管でギターアンプを作ることにハマっていたことがあります。

P:三輪先生だったんですね!なぜオリジナル楽器を作るようになったのでしょうか?

Y:先の回答と重なりますが、既製品に満足できない場合は既製品を改造するか、新しいものを作るしかありません。

P:最近はどのような活動をされているのでしょうか?

Y:デジタルテルミンで採用しているマイクロコントローラを高性能なものに換えたので、それに対する手当を行っていますが、これが一筋縄ではいかない代物で、連日プログラミングと試作機の実験に明け暮れております。

P:ずっと継続されているんですね!今後のYasuskiさんの活躍が楽しみです!楽しいお話をどうもありがとうございました。

Yasuski Engineering Web: http://audiohologram.sblo.jp/

Warabimochoja ワラビモ長者 Yasusuki EngineeringのLaVoixski(テルミン)とアフリカの楽器
https://youtu.be/G2Ycj5lVonM

Maker Fair Tokyo 2019|Yasuski Engineering
https://makezine.jp/event/makers-mft2019/m0159/

eKora(エレキコラ)アフリカの民族楽器の制作変遷
http://audiohologram.sblo.jp/article/99046980.html

イベント「しんしさくらく」公式
Yasuskiさんが参加するかもしれないイベントのtwitterページ
https://twitter.com/bunka0313

+たまたまインタビュー+ vol.27「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷卓司さんのお話 その3」

インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)
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今回は、愛知県美術館の越後谷卓司さんです。2021年のはじめ頃にたまたまアートラボあいちに展示を観に行った時にお会いしたので、インタビューをお願いしました(インタビューは3/14に芸文センターにて)。
フィリップ(以下P):「学芸員の仕事を長年されて来られていらっしゃいますが、これまでやって来られてどんな感じでしょうか。」越後谷さん(以下E):「まあ、学芸員と言っても色々なスタンスの人がいて、扱う作品とか時代とかによるので、僕の場合対象が現役の作家とか、古くても100年前なので、そういう前提で言うと、作家がやりやすいように、やりたいことが実現できるようにしてきたのかな、と思うし、まず作家ありきで「オリジナル映像作品」の制作を担当しているんですけど、作家が企画を出してきて、そこをいかにして形にするかのお手伝いをしている感じです。」P:「へえー」E:「一方でもう完成してしまっている作品に関しては、自分なりの視点やテーマで上映会をやったりしているので、そこには作家の作品とは別の切り口があって、それには自分の持ち味は出ていると思います。」P:「今までの上映会で一番気に入っているものは何でしょうか?」E:「気に入っていると言うか、やって良かったなと思うのは、ジョナス・メカスの特集で1995年ですけど、ビデオ作品の上映をやったんです。メカスはフィルムの人で日記映画の創始者と言われているんですけど、そう言うのはもう見てたんですね。でもビデオも撮っていて、それはまだ見ていなくて、見てみるとフィルムだとコマ撮りですが、ビデオだと長回しなんですね。ひたすら人物とか風景を延々と撮っているんですけど、それが僕には面白かったんですね。なにぶん6時間くらいのすごい長いのを上映したりしていたんで、一般の人の反応はあまり良くなかったかもしれないんですけど、あの時点で紹介できたのは良かったですね。」P:「見る人は見るけど、普通の人は見きれないような感じだったでしょうか。」E:「長い作品に関してはそうですね、6時間だと1日潰すことになるし、見る側もよっぽど肝が座っていると言うか。」P:「ここ(芸文センター)に来られたばかりの頃ですよね。」E:「そうですね、ここには1992年に来たので、ただ、若いうちに勢いでやっちゃうのが良かったんじゃないかな。もっと年齢重ねるとなかなか手がつけられないと言うか、物事をわかってなかったので、やってしまったと言うところがあるので。」P:「勢いは大切ですね。あと、愛知芸術文化センターの方針みたいなことも教えていただけないでしょうか?」E:「出来た頃は劇場と美術館が一緒になった複合施設という意識がすごくあったんですね。フォーラムという吹き抜けを使ったりもしていましたが、段々やりにくくなって、今は組織もはっきり別れたので、複合性や連携が薄れたのはちょっと残念です。」P:「そういう流れはここだけじゃなく、もっと全体的な流れなんでしょうか?」E:「水戸芸術館とか、川崎市市民ミュージアムとか、愛知よりもっと前に出来たところも統合です。愛知より後の東京都現代美術館とか徐々に大型の施設でジャンルを特定するものが出来始めて、そちらの方が今は主流でジャンルを深められるみたいな感じになっている気がします。」P:「なるほど。」E:「そうは言っても、YCAM(山口情報芸術センター)みたいな施設もあるし、完全に流れが変わった訳ではないですけど、中で働いている人たちの意識と関係しています。」P:「ジャンルによって思想が違うということでしょうか。」E:「美術館は作品ありきで作品を守り伝える、公演は現場で新しいものを作っていくという意識があるので、もちろん現代美術みたいにその場で立ち上がっていくものもあるんですけど、常に作品の収集活動したり、それをどう見せるかみたいなことがある。お客さんの意識も、劇場で同じ演目が何年かごとに再演されて、作品が育っていったりするのを観て楽しむようになるとちょっと変わるのかな。そういう土壌が出来た時に初めて本当の意味での複合性のとっかかりになるかもしれないけど。」P:「思想が違う人が集まると難しいことも起こりますが、面白いと思います。ここ10年くらいアーカイブとか再演とかよく聞きますが、愛知県美術館でもアーカイブ活動が行われているでしょうか?」E:「作品だけでなく、資料ですね。作品が完成するのに至るスケッチとかメモとか記録とかそういったものも含めて、残していかないと、本当の意味で何が言いたかったのか伝えられないということで、それは世界的な課題になっています。過去の掘り起こしとかとても労力がかかるし、どう展示するのかなど…。」P:「時間と人手と大変ですね…。話が実験映像に戻るんですけど、その当時は新しいメディアが出てくると別のジャンルの作家が入ってきたということなんですよね。」E:「例えば画家だったら、キャンバスに描いた絵が動かせるから、動くことで違うものに変えられるとか、マン・レイも写真は動かないけど、動画にしたら写真では出来ないことが出来るとか、新しいメディアが出てきて浸透する時には皆飛び付くんだけど、本来は更にそのメディアを深く追求することが僕は重要だと思うんですけど、個々の作家は続けていても、一般的な認識はそうはならないですね。それは残念ですね。」P:「後、これが最後の質問なのですが、これからの実験映像に期待することは何でしょうか?」E:「今は大学で正規のカリキュラムで映像教育が行われるようになり、「ぴあフィルムフェスティバル」なんかでも大学対抗みたいになっていて、技術や俳優の演技レベルの水準が上がってきているのですが、正規の教育がなかった頃の、例えば園子温とか黒沢清とかも、やりたいという衝動だけで、誰からも頼まれなくても撮るみたいな…。学校教育の重要性は否定しないのですが、何かやむにやまぬ衝動にかられて撮ってしまうような冒険心というか、チャレンジ精神がどこかに残っていて欲しいなあと。技術的は低いけど思いが伝わってくるような作品は、かつては「イメージフォーラム・フェスティバル」に、何本かそういう作品はあったんですけど、今は技術水準が上がっているので…。」P:「なるほど、衝動的なものも残って欲しいですね。」E:「そうですね。」P:「長いインタビューにお答えいただき大変ありがとうございました!とても勉強になりました。」
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 後半https://youtu.be/5wTFNnAYxLU
ジョナス・メカスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%82%B9
マン・レイhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4
園子温https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E5%AD%90%E6%B8%A9
黒沢清https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%B2%A2%E6%B8%85

+たまたまインタビュー + vol.26「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷卓司さんのお話 その2」

インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)
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今回は、愛知県美術館の越後谷卓司さんです。2021年のはじめ頃にたまたまアートラボあいちに展示を観に行った時にお会いしたので、インタビューをお願いしました(インタビューは3/14に芸文センターにて)。
フィリップ(以下P):「なるほど。80年代は新しいものが一杯あったいい時代というイメージがあります」E:「僕は中学から大学にかけてが80年代だったんですけど、実体験からいうと、80年代は前半と後半で全然違うんです。前半は下積みで長くやってた相米慎二とか、漫画でも大友克洋とかが出てきて新しいことが始まるんじゃないかという雰囲気があったんです。後半になってみるとバブル景気の影響で、映画だと異業種の監督が登場する。例えば高田賢三が映画撮ったりとか。」P:「あー確かにそっちの方がイメージ強いですね。異業種の人が音楽やるとか。」E:「その中で一番成功したのは北野武。」P:「へえー」E:「だから、80年代で何か新しいことが起こりそうな感じがあったのは特に前半の方で、ただそれが花開いたのかとか、どう定着したのかとかいうとちょっと心もとないですけどね。」P:「あまりそういう視点で見たことがないので面白いです。」
P:「実験映像について少し勉強しようと思ったのですが、幅が広すぎてどう説明していいのか…。」E:「テレビでなかなか取り上げられないということもあるけれど、歴史的な後付けがまだなされていないのが、実験映画ってよくわからないと言われてしまう一つの理由なんですけど、はっきりしているのは1920年代のアバンギャルド芸術の中の新しいメディアとしてのフィルムにアーティストとか映画監督が飛びついて、マルセル・デュシャンなんかもそうです。そういう時代があってもう一つが戦後のアメリカでブラッケージとかメカスとかが出てきて彼らは新しい映画の運動をしようとしたんですよ。それはゴダールとかトリュフォーなんかのヌーヴェルバーグにどっちかっていうと近い動きで映画の変革みたいなことをやろうとしたんですね。それがあとでうまく引き継がれていないというか、完全に繋がっているわけじゃなくて、それぞれがアートの領域の新しい動きだったり、ビデオという新しいメディアをどう扱うかみたいな、それぞれが別の性格づけがあるんで、それを全体としてどう捉えるかというと、非常に難しいというか、実験映画というジャンルが確立したかというとそうではないと思うんですよ。むしろ映画でも美術でもいいんですけど、新しいものを生み出す・革新してゆく精神みたいなものなんじゃないかと。」P:「なるほど」E:「そういう意味でいうと小田香さんの『セノーテ』はかなり実験映画のニュアンスを汲んでいる作品だと思うけど、彼女自身がどこまでそれを意識しているかはわからないですけどね。」P:「聞いてて思い出したのが、IAMAS行ってたと言ったらメディアアートって何と聞かれて答えに困ったことが…。あと実験映像の知識がないと、実験って聞くと、普通とは違うことをしているのかな?とざっくりしたイメージしか持っていなくて、色々聞いていくと色々流れがあるんだなーという、そんな知識しかないのですが…。」E:「実験音楽もジョン・ケージとかフィリップ・グラスまでははっきりしていて、大友良英さんはかなりその流れも引いていますが、ポピュラーな方面の仕事もされていますし、音楽でもそうだから、時代の変遷に左右されちゃうんで、あと時間が経つとそのメディア自体が古くなっちゃうんで。」P:「そうなんですよね。」E:「ビデオももうアナログビデオと見られて、それだけで古臭いとか見られてしまうのが残念。メディアは古いかもしれないけど、そこでやられていることは今でも通じるし、面白いものはたくさんあると思うんですけど。そこまで見ようと到達してくれる人が少ない。」P:「ジョン・ケージの作品とか見ると、今思いつくようなことはすでにこの人がやってたんだなと思ったりします。実験映像でもそういう人はいるんでしょうか?」E:「ブラッケージとかメカスかな。メカスは特にプライベートな感じで対象にアプローチするのが、今ではドキュメンタリーもそっちの方が主流になっちゃったけど、昔はもっとNHKが歴史を語るとか、大きなところから俯瞰して構えていた映像が多い中で、メカスは最初からコミュニケーションのツールとして用いていた、プライベートな視点で撮っていて、でもそこから歴史がすけて見えるのが、今見ても先駆的で学べることは多いんじゃないかと思います。」
– 次回へ続く –
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 前半https://youtu.be/2swRKXfkbtw
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 後半https://youtu.be/5wTFNnAYxLU
相米慎二https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E7%B1%B3%E6%85%8E%E4%BA%8C
大友克洋https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E5%85%8B%E6%B4%8B
高田賢三https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E8%B3%A2%E4%B8%89
小田香「セノーテ」http://aragane-film.info/cenote/#unit_top
ジョン・ケージhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8
大友良英https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8F%8B%E8%89%AF%E8%8B%B1

+たまたまインタビュー+ vol.25「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷卓司さんのお話 その1

インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)

————————————————————————————–今回は、愛知県美術館の越後谷卓司さんです。2021年のはじめ頃にたまたまアートラボあいちに展示を観に行った時にお会いしたので、インタビューをお願いしました(インタビューは3/14に芸文センターにて)。
フィリップ(以下P):「こんにちは、越後谷さんの簡単な自己紹介をお願いします。」越後谷さん(以下E):「愛知県美術館の主任学芸員の越後谷です。元々は愛知県文化情報センターの学芸員だったんですけど、今は美術館の学芸員です。」P:「そうか、愛知芸術文化センターが変わったんですね。」E:「2014年に文化情報センターの組織が解体されたので、事業部門にいた人は劇場と美術館に移動したんですよ。」P:「あまりわかってなかったのですが、名刺が変わったのはそういう訳だったんですね」E:「文化情報センターは劇場でも美術館でもなく、まあその両方をまたがるような仕事をしていたという…。」P:「なるほどだから、実験映画とか、現代音楽とか、コンテンポラリーダンスとかマニアックなものを名古屋で観ることができていたんですね。越後谷さんはなぜ実験映画に興味を持つようになられたんでしょうか?」E:「最初にその手の作品に触れたのは中学生くらい。80年代のはじめぐらいですけど、丁度その頃にアニメーションブームがあって、『宇宙戦艦ヤマト』とか、『銀河鉄道999』とかがあったんですけど、まあそういうメジャーな劇場用アニメーションではなくて、1日くらいの小規模なサークルの集まりで、ちょっと変わったアニメーション上映しているとニュース等で聞くんです。例えばノーマン・マクラレンとかそこら辺の名前とか知るようになって、当時はなかなか実験映画を観る機会がなかったんですけど、多摩美術大学に入ったら、アニメーション研究会が新入生の歓迎で色々イベントやるんですよ。そこでマクラレンも観れて、ああこういうやつだったんだ、みたいな。」P:「へえー!中学生から興味持たれていたんですね。」E:「アニドウ、つまり、アニメーション同好会っていう、プロのアニメーターとかアニメーション研究者とか、こっちの方だと森卓也さんのような評論家だったりとか、杉本五郎さんという漫画家でフィルムコレクターの方とかが協力して、プロというか研究者とかに近い人たちが集まったグループがあって、杉本さんが若い人たちのために、と見せてくれる機会があったり、大使館からフィルム借りて上映会したりしてたんです。」P:「越後谷さんは師匠がいらっしゃいますか?」E:「何人かいるんですけど、一番最初は大学の時の先生だった萩原朔美さんという方で、萩原さんを知ったのは確かNHKの教育(現在はEテレ)で萩原さんの作品を紹介する番組があったんですよ。リンゴを1年間撮って腐っていくのを映画にするとかを紹介していて、こんなことやってて仕事になるんだと名前を覚えていて、大学受験するときに、多摩美で教えていることを知って、3,4年で指導を受けたんだけど、放任主義で学生が何かやれば反応するという感じで。」P:「その頃はご自分でも映像を作られていたんですか?」E:「そうですね、当時は作家志向だったので、先生にも叩かれていました。」P:「その頃好きだった作家さんはいらっしゃいますか?」E:「入った頃がビデオアートブームみたいな時期で。丁度大学入った年にナム・ジュン・パイクの個展があったり、ビル・ヴィオラのことも話題になっていたんだけど、1,2年の時の指導教官の海老塚耕一さんはビル・ヴィオラがあまり好きでなくてなかなか見せてくれなかったですけど1回だけ見せてくれたんです。ビル・ヴィオラが砂漠で撮った『チョットエル-ジェリド』というもので、やっぱり当時はみんなナム・ジュン・パイクよりもまず第一にビル・ヴィオラっていう。」P:「あーでも、ちょっと違いますよね、ナム・ジュン・パイクは映像よりモノが目に入ってくる感じです。」E:「その当時フィルム主流でそうではないビデオの特性を追求しなきゃダメなんじゃないか。もちろんパイクもヴィオラもビデオでしかできないことをやってるんだけども、ビル・ヴィオラの方がビデオの本質に近いというか。あとナム・ジュン・パイクだとビデオシンセサイザー使ってて、そんなの学生には触れることすらできない。だったらビル・ヴィオラみたいに撮影にこだわって作品を作るしかやりようがないのかなっていうのが現実だったんですね。」
– 次回へ続く –
Warabimochoja ワラビモ長者 愛知県美術館 主任学芸員 越後谷さんのお話 前半https://youtu.be/2swRKXfkbtw
愛知県美術館https://www-art.aac.pref.aichi.jp/
森卓也https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%8D%93%E4%B9%9F
杉本五郎 (漫画家) Wikipediahttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E6%9C%AC%E4%BA%94%E9%83%8E_(%E6%BC%AB%E7%94%BB%E5%AE%B6)
萩原朔美https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E5%8E%9F%E6%9C%94%E7%BE%8E
海老塚耕一https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%80%81%E5%A1%9A%E8%80%95%E4%B8%80
スタン・ブラッケージhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8
ジョナス・メカスhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%AB%E3%82%B9

たまたまインタビュー + vol.23 松村 明莉さん

+たまたまインタビュー + vol.23「松村 明莉さん イアマス大学院」 インタビュアー:フィリップ(ワラビモチ愛好会会長、IAMASアカデミー5期生)

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今回は、IAMAS大学院1年生の松村明莉さんです。先日IAMAS2021卒業制作展を観に行った折に、作品紹介をしてもらったら面白かったので、インタビューをお願いしました。


フィリップ(以下P):「こんにちは、松村さんの簡単な自己紹介をお願いします。」

松村さん(以下M):「松村です。広島出身で、好きな食べ物は食べ物です!現在はゲームの物語性について研究しています。」
P:「IAMAS1年目の展示が越波博物館という作品なんですね。」

M:「根尾地区にある越波地区の空き家の入口に放置された謎の骨みたいなものを使って、復元図を作ったという感じです。この企画展示のプロジェクト自体が分解者っていうテーマで、分解者は動物の死骸なんかを分解する微生物だったりとかですけど、今の人間の生きている世界に見立てて新たな価値を与えるというもので、私もその流れの一環として架空の見立てをしました。」

P:「根尾で活動されているということは、金山先生の指導を受けられているんでしょうか?」

M:「プロジェクトのメイン指導は金山先生なのですが、主査は吉田先生にお願いしています。」

P:「なんと、吉田先生が大学院だけになってから、生徒を持っているというのは初めて聞きました!私がいた頃は専門学校スタジオ科・アンドコースの先生でした。来年の制作研究はどんなことをされるんでしょうか?」

M:「ゲームを制作する予定です!まだ構想段階ですが、遊んだ人がゲーム自体のストーリーだけでなく、いつ・どこで・誰と遊んだか、どういう選択肢を選んだか、というところまで物語として組み込めるようなものにしたいと考えてます。」

P:「この博物館展示がアナログな感じだったので、ゲームとは意外で面白いです。ただ、今の話を聞くと、ストーリーを作るという点では越波博物館の話も繋がるんでしょうか?」

M:「要素として入れ込めたらいいなと思ってます!」

P:「そう言えば、IAMASに来る前はどんなことをされていたのでしょうか?」

M:「大学では現代美術を専攻してました。IAMASのように、コンセプトさえしっかりしていればわりとなんでもアリな感じでしたね。」

P:「なんと、現代美術をされていたんですね!楽しい作品紹介をありがとうございました!」



根尾の分解者たち:composition, decomposition, recomposition
https://www.iamas.ac.jp/exhibit21/project/community-resilience-research/

越波博物館
https://www.iamas.ac.jp/exhibit21/project/community-resilience-research/oppa-museum/

IAMAS 2021
https://www.iamas.ac.jp/exhibit21/

Warabimochoja ワラビモ長者 松村明莉さんの越波博物館
https://youtu.be/CH3QxkJzXzw

でたらめみんよう講座 with うどんとわらびもち

もう少しでMOBIUM TOUR2019が始まりますが、4/30にわらうどん(=山路とんとこうどん×ワラビモチ愛好会の調理バンド?)の「でたらめみんよう講座 with うどんとわらびもち」というworkshopを仙台で行います。
お近くの方、ぜひご参加ください!

でたらめみんよう講座 with うどんとわらびもち

でたらめみんよう講座 with うどんとわらびもち
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2019/4/30 13:00-14:30
宮城・仙台 スタジオ開墾
〒984-0015 宮城県仙台市若林区卸町2丁目15−6
参加費 1000円
土産:うどん(持ち帰り用生麺)、ワラビモチ
申し込みフォーム:
https://forms.gle/eYVr8mvCc6bp6p2i8

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0. 卸町を少し散歩します
1. 参加者で民謡の歌詞を作ります
(メロディは大漁唄いこみ、さんさ時雨的なものを使用)
2. 練習して唄います
講師:フィリップ(ワラビモチ愛好会)
打楽器:やまじ(山路とんとこうどん)
3. 途中おやつにワラビモチを食べる
4. うどんを持ち帰る

MOBIUM TOUR 2019
http://www.mobium.org/new/mobium_tour_2019/

ワラビモチ愛好会
phirip.com
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昔のライブの様子:

『フォルマント兄弟のプレゼンテーション道場 vol.3 椹木野衣セレクション』レポート

蕨粉協力

井上天極堂さん

鉱山と道の芸術祭の初日とオープニング

この前の土曜から生野での展示「鉱山と道の芸術祭」がはじまりました。日曜はオープニングパーティがあり、アーティストの制作話や、古楽器の素敵な演奏がきけました。自分はひたすら公開制作?設置中です。まだ他のアーティストの方の展示を見に行けていませんが、オープニングトークを聞いていたらとてもよさそうでした。今度の土日、その次の土日もおりますので、ぜひ遊びにおいでください! https://yamagei.com/

鉱山(ヤマ)と道の芸術祭に参加します

鉱山(ヤマ)と道の芸術祭に参加します。
生野鉱山と飾磨津を結んでいた「銀の馬車道」。は、日本で一番最初の舗装道路とのこと。
つい最近日本遺産に選ばれたそうです。

先日視察に行ってきましたが、近代建築、廃墟、産業遺産などが好きな人にはもうドンピシャの場所で。かつ自然も美しく、とてもいい所でした。
私は「ワラビモトロッコ便」という作品を作ります。

日本遺産「銀の馬車道・鉱石の道」について

以下詳細です。
2019/3/9(土)〜3/24(日)の土日祝実に開催されています。

http:yamagei.com/

一柳 慧 アーティストトーク・ 《タイム・シークエンス》コンサート(出演:一柳 慧、飯野明日香)にいった

一柳慧 アーティストトーク・ 《タイム・シークエンス》コンサート(出演:一柳 慧、飯野明日香)(アッセンブリッジ・ナゴヤによる)にいった。

  • トーク(一柳さんと服部さん)
  • 飯野明日香さんの演奏(実験音楽だがかなり弾く感じ)
  • 一柳慧さんの即興 ピアノとは思えない 音がかなりかっこいい、というか、この演奏(ジョンケージ時代の作曲)を見れたのはかなり貴重だったのではないか
  • タイム・シークエンスを飯野明日香さんが演奏 聴いてるだけで走った気分になるような演奏、聴いていてピアニストはアスリートだったのか!と思えて来ました。
  • 川島素晴さんの作曲した曲の演奏

ちゃっかり一緒に写りましたw。
久しぶりにまともな音楽を聴いてちょっと刺激が強かったです。
あと、タイムマシンにお願い(サデスティックミカバンド)はもしかして、この曲のオマージュだったのか?と、、

tokyo experimental festival 2014でパフォーマンスをしたときの審査員の一人が一柳さんで(ミーハーなのでワラビモチを食べてもらって喜んでいた)、それ以降パフォーマンスを休止しており、勝手になつかしんでいました、、いつかまたパフォーマンスも再開出来るといいなと10月にやまじさんと話していたところでした。